内田監督に聞く所作の裏側(前篇)
所作の裏側
Vol. 1
Special
内田監督に聞く所作の裏側(前篇)
更新日: 2020.03.04
生まれ育ったブラジルは、感情表現が豊かだった。
踊るように喜んだり、大声で怒ったり。
僕のルーツは、あの街にあるのだと、今も感じる。
ある日の午後、渋谷のホテルに向かう。ロビーを通り抜けたところに待ち合わせをしているカフェがある。大きな窓から明るい光が差し込んでいて心地よい。
30分前についたので、面識のないインタビューの相手のことをスマホで検索してみると、さっきロビーで見かけた人の写真が載っている。
待ち合わせの数十分前から彼はそこにいたようだ。いつも時間を守る人なんだろうと思った。人と出会ったときの第一印象は、当たり前だが生涯に一度しかない。その人は「時間を守る人である」と、僕の記憶にインプットされた。
カフェにあらわれた内田英治監督は、墨黒のシャツに黒い帽子が似合っていた。何から話を聞こうか、コーヒーを頼んでからしばらく迷う。監督とは、「映画という世界」を支配する仕事だから、ありきたりのインタビューではこちらの思惑を見透かされてしまう。さて、何から聞き始めたらいいだろう。最初の質問がつまらなければ、たった一度の僕の第一印象が最悪なものになってしまう。
人間の感情の「喜怒哀楽」、それに沿って話を聞きたいのだが、過去に何本か内田監督の映画を観ていた僕は、映画の印象から、話しやすいのは、「怒り」ではないかと推測してインタビューを始めた。
内田監督はブラジル、リオデジャネイロで幼少期を過ごしている。ブラジルでの日々は内田少年にどんな影響を与えたのだろうか。
「ブラジルは喜怒哀楽で言えば、喜怒のイメージが強かったですね。人々の感情表現が強い。生活環境も日本とは大きく違っていました。ホームレスがそこら中で寝ていたり、フェルナンド・メイレレス監督の映画『シティ・オブ・ゴッド』に出てくるようなストリートチルドレンが、街の中で発砲したりするのを、さほど珍しくないものだと思って見ていた。そんな少年時代でした」