耶雲監督に聞く所作の裏側(前篇)
所作の裏側
Vol. 10
Special
耶雲監督に聞く所作の裏側(前篇)
更新日: 2020.06.17
子どもの頃に夢中になったテレビ番組が作りたい
いくつかの会社の中で初任給が5000円高いところを選んだら
そこは、テレビ番組を作る会社ではなかった。
CMディレクターでもある耶雲哉治監督が生まれたのは富山の港町。初めて観たのは『ドラえもん』で、それからも『南極物語』や、ジャッキーチェンの映画など、3本くらいしか映画館では観なかった、と言う。その耶雲少年が映画を撮るようになった経緯を聞いてみた。
「僕にとって、映画はテレビ画面に映るものでした。映画について話している人の記憶は、水野晴郎さんと高島忠夫さんだけです。2局しかなかった民放テレビで吹き替えの映画をよく見ていましたね。中学の時にはお笑いやバラエティ番組が好きになり、テレビっ子になりました。テレビの中の世界って楽しそうでいいなと思いました。友人の中には映画雑誌を読んでいた早熟な連中もいましたけど、僕はまったく興味がなく、テレビ雑誌を買ってどういう順番でチャンネルをかえたら効率よく多くの番組が見られるか、なんていうことを考えている変な子どもでした。高校に行くのをサボるようになり、パチンコ店とゲームセンターに通いつめる日々が続きました。卒業してからふとテレビを見ると、地元の同級生がとんねるずの『ねるとん紅鯨団』に出ていたんです。地方の小さな町の知り合いがテレビに出ていることに違和感をおぼえました。箱の向こう側だと思っていたテレビの世界がいきなり身近に感じられたからかもしれません。それが、自分とテレビが繋がった瞬間でしたね」